
せっかく長い冬を経て咲いた花。でも今年の花は見るヒトの心を晴れ晴れとさせてはくれない。
地震、津波。
そして、
福島の原発。人災。
もう2011/03/11以前の日本には戻らないし、戻れない。
末期の眼で、今年の花を見ておかなくてはならないのかもしれない。






追々後出し情報が出てくるだろう。
二年三年と、このことについて様々な事実が付け加えられ、紡がれて行き、2011年3月は様々に語られる。
ただ言えることは、2011年3月は、それ以前の日本-世界とそれ以降の日本-世界を分岐させた地殻変動であり、そして国も含めていままでの日本のあり方、人びとの営みの形の、一挙的な液状化の始まりの月だったと後世に伝えられるであろうということ。

白木蓮の開花状況チェック。
まだまだかな。
でも満開がベストというのではなく、蕾の段階-開花の初期-さあいよいよ・・・-満開-散り始め-散ったあと・・・・それぞれを息呑んで見る。

肥後菫。

六地蔵、それぞれに落ち椿が一輪供えてあった。

椿の巨樹。

白木蓮熱愛だけど、椿も・・・。で、以下ズラズラ連貼り。



やっと僅かながらガソリンが給油できるようになって、市内に。
はなやかな河津桜のポイントには脚向わず、街中の一本だけ駐車場の端に立つ樹を見上げる。
ここ半月の息苦しさ。
ニュース記事をクリックしながら、ため息と無力感。
「安政江戸地震」-野口 武彦-を読み直していた。
安政江戸地震(1855年)もうさぎ年。
安政江戸地震から干支が一回りして、次の年=慶応4年(1868年)=安政江戸地震の死者たちの13回忌は江戸幕府の消滅。
東北、関東の被災者の方々に、お見舞いを申し上げます。
天災としても地震-津波だけでも大変な被害なのに、そこにまた人災としか言えない原発の大事故が追い打ちをかけ、この国はまさしく自ら変わらざるをえないステージに否が応でも立たされたと思います。
良い方向を、みんなの共有された感覚で見いだせれば良いのですが・・・。

メジャーな観光梅林ではなく、農家の梅畑が連なる丘陵。
神社の東屋で休憩。
老いた両親に代わり墓参。
ガソリンが手に入りづらいので残量を気にしつつちょっとだけ寄り道。
梅の木の下には、青い絨毯。いぬふぐり群生。

3/11以降、家にこもり息ひそめてニュースを追っていた1週間。
その間にも、梅の花もいぬふぐりもひっそりと咲いていた。
早く春、来い。
被災地にも一日も早く春の日が来ることを願って。

河津桜が咲いていた公園の芝生の山。
コンクリートのベンチが一つ。
あの時の1時間21分前、この時には日々の営みが変わらず続くと思っていた。
天下和順 日月清明 風雨以時 災不起 国豊民安 兵戈無用 崇徳興仁 務修礼譲
『無量寿経』
なにか語りたいのだが言葉にならず・・・
祈る。
夢寅 拝

まだほころび始めたというところだけど、今日の暖かさはセーターなしでOK。
蝶乱舞。当方、
狂喜乱舞。・・・・・・取り乱して、とめどなく写真貼り付け。








真冬に戻ったような園内のフィールドを歩きまわったあと、 昆虫観察館本館 > 昆虫ふれあい温室に。
う~~~ん、ここは熱帯。
メガネもカメラも蒸気でたちまち曇る。
曇りを必死にハンカチで拭うと、目の前に蝶乱舞。
頭には大きなオオゴマダラが親しそうに留まる。
カメラの望遠レンズにも。
筒先のオオゴマダラをおもわず寄り目で見てしまう。
はぁ~~~・・・・。しばし気分は熱帯。
温室といえば、昔読んだ児童小説に確かベルリンの王立植物園の温室が舞台になったシーンがあって(朧な記憶ですまん・・・く様)、それ以来温室ファン。別世界志向。
(ノ´▽`)ノオオオオッ♪真冬から熱帯へ。
蝶たちの歓迎。
すっかり
「ぐんま昆虫の森」 にヤラれました~w!

スプリング・エフェメラル。
「春の儚いもの」「春の短い命」。
春の妖精。

ここに咲き始めた節分草の記事をネットで見つけたのが、今日訪問の機縁。
なにせ広い園内。職員の方に案内いただき、撮影。
大事に移植したものとのこと。

かやぶき民家の部屋に飾られたお雛様。
そ~だ~、今日はお雛祭り。


かやぶき民家の門。
かやぶきの門。

障子に切貼りの虫。

昆虫の森だから、ということなのだろうけど、虫の切り貼り、粋!
かやぶき民家の囲炉裏でお茶をいただく。
外の寒さに、囲炉裏の火とお茶がありがたい。